三省堂で『本能寺の変 431年目の真実』という本が沢山売っており、ちょっと評判になっていて、興味がわいたので読んでみた。
「秀吉が信長の後継者としての正統性を訴えるため」に現在の本能寺の定説は
作り上げられたそうだ。
著者はこの方です。
http://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai/e/7d35e1a1dd8314b94a5590877b416828
内容は、これまでの定説となっている
・怨恨説
・野望説
・謀反説
・信長油断説
・家康伊賀越え危険説
・秀吉中国大返しの神業説
等々がウソといっている。
弁護内容は、
・光秀は決して保守主義者ではなく,革新的で合理的な信長の思想に共鳴しており信長に信頼されていた
・明智一族の長である光秀が軽々しく大恩のある信長に弓矢を引くということはありえない
・戦国大名は多数の一族郎党を抱える指導者であり、トップリーダーなのですから、単純にこいつ嫌いだから殺す、こいつ好きだから味方するとはありえない
・家康の「神君伊賀越え」は実際には茶屋四郎次郎などの手引きにより,家康はそれほど危なげなく堺から岡崎城に帰還することができた。伝承は,家康による本能寺の変への関与を否定するために捏造された後世の創作話に過ぎない
・穴山梅雪は実際には一揆に殺されたのではなく,家康が岡崎に帰還した後で切腹させられた
・信長が将来的には朝鮮や明を征服し,光秀らは畿内の領土を奪われて新しい征服地に転封させられることになり,光秀にとってこれは土岐家存続の危機であると判断したため,やむなく謀反を起こした
・羽柴秀吉に関しても,本能寺の変よりかなり前から密かに信長打倒を企んでいた
だそうだ。
歴史は勝者が作るのであるから、なんか競馬評論家が外れた後の言い訳を
明智光秀の子孫がしているだけの気がした。
たとえば、ここでこんなことが書かれている。
・信長は光秀を見識ある人物として認め信頼し、片腕としていたとし怨恨説などどこにも史料に書かれていない、
・家康と光秀は同盟を結んでおり本能寺の変が仕組まれていた
・秀吉の中国大返しの速さは事前に変が知らされていたから
⇒すでに歴史に洗脳されているかもしれないが、そりゃ、ありえんだろう!
結論は、「本能寺の変」とは、信長が企てた徳川家康を暗殺するための罠であり、そこを明智光秀に討たせることになっていたと…、家康・秀吉・細川が光秀を陥れたそうだ。
完全に作者が自分の祖先の弁護をするために書いて、秀吉等を恨んでいるだけのお話でした。
ただ、自分的には、さすがシステムエンジニアが書いた本であって、文章の書き方として、勉強になるなーと思いました。
参考URL:http://www.st.keio.ac.jp/ob_relay/ob_1012.html
・最初に「徹底した情報収集」
事件当時に書かれた史料からの関連記事の収集を行ってます。
武将、公家、僧侶などの書いた日記、イエズス会宣教師の書いた報告書類など多くの史料が活字化・編纂されて出版されていて、多くの情報を入手している。
・情報の「洗練と関係付け」
犯罪捜査で言えば証拠・証言の信憑性の評価とそれらの相互関連の整理です。
これによって「部分的な小さな真実」を発見して、不足している情報を発見する。
・情報を収集する「情報の補強と関連付けの追加」
「全体の構成と設
計」です。
「部分的な小さな真実」が矛盾なく整合する真実の全体像を復元していく。
・最後に「結果の検証」
出した回答とは別の答の可能性(確からしさの度合)がないのかを様々な角度から確認する。
世間の感想はいろいろですが、興味があったら、読んでみてください。
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